この価値を、

つなぐため。

「函館湾岸コンクリート物語」

GRHABIPの活動記録


函館港の今と昔

私たちの生活に欠かせないものは何でしょうか?水、食べ物、住む場所など様々ありますが、それらを構成する要素のひとつに「コンクリート」があります。GRHABIPでは「函館湾岸コンクリート物語」と称して、その埋もれた価値を掘り起こす活動を行っています。函館の歴史や市民の暮らしに密接な関係を持つ「コンクリート」を媒介に、価値ある土木遺産やそこに関わった人々の邂逅を取り上げ、ひとつの物語として結実させようとする試みです。

つなぐため。

知りたい。

知りたい。

我が国現役最古のセメント工場!
太平洋セメント上磯工場、そして峩朗鉱山

函館市の隣り町、北斗市峩朗にある太平洋セメントの石灰石鉱山である峩朗鉱山は、日本のコンクリート業界を長年支え続けているセメント原料供給の拠点です。現在は、太平洋セメント上磯工場峩朗鉱業所として操業しています。ここで採掘された石灰石はセメントの原料として使用され、函館の不燃建築物に多く使われています。
また、この峩朗鉱山を所有している太平洋セメントが北海道セメントという名前であった時代、峩朗鉱山で採掘した石灰石を原料としてセメントを製造する時に、日本で初めてドイツ製の回転式の窯を使用しました。この事により、セメント製造の技術が飛躍的に上がり、より耐久性の強いものとなったのです。
GRHABIPでは、太平洋セメントの歴史的な意義を広め、峩朗鉱山の採掘活動に関わった人やセメント製造にまつわるドラマを掘り起こすための取材・調査を継続してゆきます。

太平洋セメント上磯工場

 1890年(明治23年)操業開始の我が国現役最古のセメント工場。年間700万トンの石灰石採掘量を誇る峩朗鉱山から全長6.2kmの長距離ベルトコンベアにより石灰石を直接工場へ運び、年間約375万トン(平成28年度実績)のセメントを製造する。東日本最大の生産規模を誇り、函館湾に延びる全長2.0kmの海上桟橋からは、国内出荷はもとより海外輸出も行っている。

残したい。

残したい。

本にまとめ、コンクリート文化を記録します。

日本のコンクリート文化に関する情報や文献をまとめて一冊の本にしました。関係者向けの非売品ですが土木工学の専門的な見地や歴史的観点にもとづいた充実の内容です。コンクリートの基礎知識からはじまり、我が国においてコンクリート技術がどう発展していったのか、関連資料や独自の調査をもとに編纂しています。いまの函館港の誕生から、当時の人々の暮らし、また現在も残る「コンクリート遺産」といえる建造物を取り上げ、そこで育まれた土木技術や暮らしの変化を考証しています。廣井勇博士が日本のコンクリート技術に貢献した記録も興味深い資料です。巻末にはコンクリートツアーと題して、函館西部地区に残るコンクリート遺産をいくつか取り上げ紹介しています。

函館湾岸コンクリート物語冊子データ(PDFデータ)
ダウンロードはこちら(15MB)

伝えたい!

伝えたい!

パネル展を開催し、私達の取組を紹介しました。

北海道教育大学函館校ユースフル函館との協働で各所でパネル展を開催しています。地域づくりや地域再生の実証実験を行っているユースフル函館は、函館愛にあふれた学生たちの集まりです。GRHABIPメンバーの指揮のもと、コンクリート遺産を観光などに役立てるための活動に協力してくれています。調査の過程では函館の隠れた魅力に触れ、学生たちにも新たな発見があったようです。それらをレポートしたパネル展は学生の目線でわかりやすくアレンジされており、GRHABIPの取組を市民に理解していただく絶好の機会となりました。

コンクリートツアーで好評を博しました。

2016年11月22日、国土交通省北海道開発局 函館開発建設部の主催で函館・北斗市に今も残るコンクリート遺産をバスで巡る「函館湾岸コンクリート物語体験ツアー」を一般向けに開催しました。予想以上の反響で定員を上回る51名が参加しました。
函館は幕末のペリーの来航で、日本最初の開港都市となり、国際貿易港として大きく発展しました。それに伴い海外から多くの人や最新技術が流入し、我が国の街づくりの近代化を牽引し、日本の産業の発展に大きく貢献したのです。当時の最新技術のひとつにコンクリート技術がありました。街の発展による人口の急増、大火が多い街の防災上、波に強い港の整備のために・・・。コンクリート技術を如何に活用するべきか?先人たちの苦心の成果が、明治時代からの日本全体の街づくり、産業の近代化に顕われています。
当日訪れた赤川の笹流ダム、太平洋セメント上磯工場、ニチロビルのカフェまるせん、函館どつく、元町配水池、東本願寺函館別院からはコンクリート文化を築いてきた技術者たちの熱いメッセージが感じられるようでした。GRHABIPはこれらのコンクリート遺産を観光資源としても活用し、後世に伝えて行くための活動をしています。

PAGETOP